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サウンドクリエイターに転身した京都大学卒の元人事マンが雑多なノウハウを晒すブログ。 「おだしすたぢお」

キャリア・仕事

組織構造だけが合理化する危険性について。

2017/05/07

○○株式会社 ●●部 □□課長(担当 ■■)

 

担当???

 

会社でよく見るこの書き方。違和感感じるのはodasisだけ?

 

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組織を回すということ

ビジネスの拡大を目指すと程度の差はあれど必ず人が増えます

人が増えると人と人のやりとりが増えます。

人と人のやりとりが増えるとその間を仲介すること自体が一つの仕事になります。

これが管理業務。

この「□□課長(担当 ■■)」という書き方は組織を回す上で、非常に合理的にできた仕組みではあるのです。

組織における会話

「□□課長(担当 ■■)」

の示すところは

”これを言っているのは担当の■■さんではなく□□課長ですよ。”

です。

組織における会話は各組織単位の長同士でしか行われないのですよ。担当者はその長の内臓のごとく内側に存在し、表層の会話の中には存在しない。

人が多いとそれだけ意見が増えますから、大きな組織の中でスムーズに議論を進めるための「会話して良いのは長だけである」という前提は、非常に合理的に構築されたものなのです。

合理的組織構造の落とし穴

非常に合理的な構造ではあるものの落とし穴が2つあります。

  • 「会話して良いのは長だけである」という前提は目に見えない共通認識でしかない。
  • 組織の機能が長の能力に依存する。
会話しても良いのは長だけ

”この職位の人の名前で発信されているんだから、この文書には○○の意味があるに違いない。”

みたいな会話が発生するわけですよ。なんともまどろっこしい。

「会話してもよいのが長だけである」ためにその長の発言には本人の個人的意思以外の意味が発生します。

担当者は必死にその行間を読むわけですよ。くだらないと思いますがみんな日常的に自然にやっている。

高文脈社会ですからね。仕方ないとは思うのですが…でもそれだったら最初からそう書けよ!と。思いませんか?

単なる勘違いで済むのあればまだましでしょう。その共通認識のズレのためにやらなくて良い仕事が増えるといった極めて非建設的な事象も残念ながら非常に多い。

長の能力への依存

ふたつめはまだわかりやすい。

「組織の長しか会話してはいけない」という前提があるのなら、少なくとも配下の組織のあるべき姿くらいは100点満点で描けなければなりません。

でも普通に考えればそんなことは不可能。上司だって人間ですから。

日本の組織で問題だと思うのは、そんな不可能な組織の在り方を補うのが下手なところです。

長を入念に選ぶことこそ手っ取り早い方法なわけですが、日本ではなかなかどうして成果主義が根付かない。そのくせに組織構造だけは合理的に出来上がってしまっている。

言いたいこと

批判ばかりで全く建設的な言及をしておりませんね。でもたぶんできないだろうな。

日本人の思考回路をニューロンのレベルで解析しないとどうにもならないんでしょうな。

嫌いじゃないし愚痴でもないんですが、無意識が一番怖いと思うので言語化してみたわけでした。

2016/11/24 odasis

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