どう生きるかのビジョンってそんなに大事?重要性を疑ってみる。
2017/05/07
企業や組織のトップに美しくリアルなビジョンを求めるのは正しい。
でも「個人がどう生きるか」のビジョンではちょっと違ってくるんじゃないかという話。
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ビジョンの必要性
「ビジョンを持とう!」
あまりにも当たり前に語られるため、その重要性について考える機会って意外と少ないんですよね。
なんのためにビジョンが大事なの??
自分なりの理解がないとたとえば計画を立てて満足するみたいなことにもなりかねない。
「Vision」とは?
展望・見通しという意味の英単語ですが、日本語のいわゆる「ビジョン」は
だと思っています。
1万円のフライパンを買うかどうか、料理人になりたいというビジョンがあれば買うかもしれないし、経営者になりたいと願えば買わないかもしれない。
何が言いたいかと言うと、
ということです。あくまで参考。
ビジョンを疑うべきタイミング
企業の経営者は従業員の生活を背負っています。
彼らに失敗は許されません。よりリアルなビジョンを描くことが求められますし、その完成度が従業員のモチベーションに直結します。
彼らにはビジョンを描くこと自体に意味があるのです。
しかし、特に個人の人生設計の場合、ビジョンへの執着が判断を邪魔してしまうことも大いにあり得るんじゃないかと思うわけ。
たとえば環境・市場の変化があまりにも激しく先が読めないとき。
「〇〇になりたい!」というビジョンも10年後に目指すもの自体が変わっているかもしれないなら、その変化もビジョンの中に組み込まないといけない。
それから自分の第六感が強烈に主張するときもそうです。
ビジョンに拘ると判断を誤るかもしれません。「あとで絶対後悔する…」と思うとき、それを無視するとあとでやっぱり後悔します。
ビジョン通りに進むことが必ずしも幸福とは限りませんし、第六感が新しいビジョンを作ってくれることもあると思うんです。
ビジョンとの付き合い方
ビジョンは安心の源です。
何か大きな変化を起こすとき、周囲は必ずビジョンを求めてきます。
行き当たりばったりがいいと言うわけではありません。ビジョンを無理に言語化したり、拘ったりすることが必ずしも正しい判断に繋がるとは限らないというだけです。
ビジョンが説明できないからという理由だけで自分の判断を卑下するべきはない。
- ビジョンの真の必要性を自分なりに定義しておくこと
- ビジョンが変化する可能性を否定しないこと
- 場合によってはビジョンから目を閉ざすこと
柔らかいビジョンは自己肯定にも、プロセスを楽しめる人生にも繋がってくるんじゃないかなと思うodasisでした。
2017/1/28 odasis