「ラ・ラ・ランド(LA LA LAND)」を観ました。ニューオリンズ旅行を思い起こす。
「ラ・ラ・ランド」観ました。
賛否あるようですが、個人的にはかなり刺さりました。
今回初めて利用したプレミアムシートの荷物棚をティッシュでいっぱいにしてしまうくらい泣いてしまった。
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夢追い人に乾杯を
これを主人公が歌ってる時が一番泣いたかな。
いまの自分の心境と重なる部分も大きく、突き刺さってしまいましたね。
Here’s to the ones who dream Foolish as they may seem
(どうか乾杯を 夢追い人に たとえ愚かに見えても)
Here’s to the hearts that ache Here’s to the mess we make.
(どうか乾杯を 心の痛みに どうか乾杯を 厄介な私たちに)
うぅ…
ジャズである必然性
せっかくなので音楽サイドから考えようと思う。
あとから知ったのですが、「セッション」のデイミアン・チャゼル氏が監督なんですね。
両作品ともその中心にはジャズがどっしり構えています。
ニューオリンズ
映画を観終わった後、学生時代のニューオリンズ旅行を思い出しました。ニューオリンズはジャズ発祥の街です。
ジャズの難しさに苦しめられていた当時のodasisは
などとチェリーなイメージを持ちつつ、数多のライブハウスが軒を連ねるバーボン通りに向かいました↓
しかし!
そんなイメージはあっさりひっくり返りました。
街はいろんな音楽がごった返す文字通りのカオス。
クラシカルなジャズの箱もありましたが、それはむしろ少数。ディスコのような箱からファンキーな箱までジャンルもカオス。
それに、客はそこで演奏されている音楽を聴いていない。ただ楽しそうに踊り、会話を楽しむのです。彼らにとってそこでの音楽は
なわけ。接し方は自由。聴いてもいいし、気持ち良くなって寝てしまってもいい。泣いてもいい。
五感を演者に注ぐ日本人の真面目な聴き方とは全く異なるのです。
サックスがめちゃくちゃかっこいいソロを取っても気付く人なんていない。でもそれでいいんですよ。
カオスな夜の街並みの中で
こういう場所だからこそジャズは生まれたのかもしれない…
そんな風に思ったことを覚えています。
ラ・ラ・ランドのジャズ観
チャゼル監督のジャズ観に疑問を呈す声もあるようですが、そもそもジャズの定義なんてあってないようなものです。
それだけ器の大きい音楽だということ。
取り上げる音楽がジャズである必要性があったのか?と聞かれると微妙なところですが、自由を美とする音楽であるジャズだからこそ成り立つ物語なんじゃないかなとも思います。
ロックを題材にすると同じ自由でも意味が変わってくる。
その歴史にこそ敬意は払うべきではありますが、カオスの中から生まれたものがジャズならば、「ラ・ラ・ランド」も、その自由さは拾えていたんじゃないかな。
坂道のアポロン
ジャズをテーマにした作品には好みのものが多い。
全然関係ないのですがアポロンを思い出しました。
何回見ても胸キュンだわ。
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2017/4/1 odasis