作り手になってから音楽を聴くのがしんどくなった話。聴き続ける方法を考える。
クリエイターのみなさん!音楽聴いてますか?
odasisはあんまり聴けていません…ゲロゲロ…
いまに始まったことじゃないんですけどね。
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昔はたくさん聴いていた
中学・高校時代は貪るようにいろんな音楽を聴いていました。
ヒットチャートにも好きなバンド系のアーティストがたくさんいたこともあり、オリコンを上から全部聴き漁るのがとても楽しかった。
しかし、大学に入りギターを本格的に弾くようになってから、少しずつ「演奏のための聴き方」になり、卒業してDTMを始めてからは「分析するための聴き方」に変わっていきました。
耳が「受け手」から「作り手」に変わってしまったのです。
作り手が皆そういう変化を体験するわけではないとは思うのですが、同じような人もいるんじゃないかなぁ。
いまアニメ・映画を大量に見続けているodasisですが、それはまだ作り手のマインドになってないから。
劇伴とかが耳に入ってくるようになると同じような症状に悩むような気もするので、そうなる前に詰め込みまくっています。
もはやアニメなしでは生きていけません。
聴かなくなる理由
作り手になれば音楽に浸る時間は確実に増えるし、好きだと思えるものも増える。
しかし、それでも聴かなくなるのは作り手になることで聴くときに消費するエネルギーが大きくなるからだと思っています。
細部まで聴こえてしまう
作り手になると、ボーッと音楽を聴いていてもどこでどの楽器が何をしているかがある程度聴き取れるようになります。
楽器を始める前に聴き込んでいた音楽を楽器を始めて数年後に聴いてみると、当時は聴こえてこなかった音がたくさん聴こえてきたり。
そこに自分の評価(「この音おれならこうするのに…」とか)が入ってくるとエネルギー消費量はどんどん増えていきます。
耳を鍛えると入ってくる情報量も増えるので疲れてしまうんです。
劣等感に駆られる
いつだって隣の芝生は青いもの。
確固たる自分のスタイルがある人だって、自分が知り得ぬことをやっている人を見ると悔しくなるし、知らないことがあるという恐怖に駆られることだってある。
作り手である以上「作れないといけない」という義務感に駆られることだってあるわけで。
そういう義務感が成長に繋がることも多いので難しいところ。
ミスに気付いてしまう
音楽に正解が無いとは言え、間違いだと感じてしまうことはあります。
模倣を試みたのに模倣しきれていなかったりなど。
目を塞ぎたくなりますね。耳か。
バランスが崩れる
たくさん聴いたからといって作る音楽が面白くなる保証はないし、むしろありきたりになる可能性だって大いにあります。
歴史を知らないからこそ作れるものだってあるわけで。
それでも聴く努力は必要
文脈に囚われない前衛的な制作形態を取ったり、ホビーとして楽しむと割り切ったりしない限り、やっぱり聴く努力は不可欠だと思っています。
上で挙げた聴かなくなる理由も、聴かなくても良い理由にはならない。
吸収する中で変化していくことだって大事だし、そういう変化を楽しめることも同じく大事。
特にそれを生業にする作り手にとっては、素養を養うという意味においても、またコミュニケーションの手段としても知らない音楽に踏み込んでいく努力は必要ですね。
というわけでodasisもどうやって聴くことを自分の生活に取り入れていくかを真面目に考えていきたい。
とりあえずは記録を残すことと、聴く前に必要な手続き(スピーカーの電源を付けたりケーブルを繋いだりといったもの)を最小化することからですね。
ジャズ喫茶も活用できそう。
底を推し量られるのが怖いのでどこまで公開するかは未定です。許して。
やっぱり音楽が好きなので、ストレスと言いつつも軌道に乗ってくれば楽しくなってくるはず。気楽にGO!
2017/8/20 odasis