「良い」の反対は「評価なし」 〜音楽のための音楽と自分のスタンス〜
こんにちは。odasisです。
遊技機メーカーでサウンドの仕事をしています。
曲を作ったり、効果音を作ったり、ときには他の方にお願いしたりして音を揃えて実装するまでが仕事です。
「良い」の反対
先日、社内で
サウンドの評価って「良い」の反対は「評価なし」ですから。
という会話がありました。
なるほど。
実際のところサウンドだけが特別に評価されたり、あるいは逆に非難されたりということは少ないのではないかという気がします。
(遊技機業界の特殊性はもちろんありますが)
そもそもの面白さが備わっていればサウンドの評価も上がりやすい。
特に遊技機の場合は「思い出補正」の影響も非常に大きかったりもするので、パッと聴いた感じでは変な音でもそれがクセになったりすることだってあります。
逆に面白くなければ触ってもらえないし、どんな音や楽曲が流れているのかをそもそも知ってもらえない。
土俵に上げてもらえない。
音の印象は使いどころで大きく変わるものであって、音自体を切り取って良し悪しを議論するのもあんまり意味はなくて、だからこそ「良い」の反対が「評価なし」というのも納得できてしまうのです。
コンテンツの中核
BGMや効果音など、映像作品やゲームなどにあてられる音はコンテンツの中核を担いにくい部分があると思います。
たとえばアニメやドラマの視聴者に劇伴の音楽を細部まで聴いている人がどれほどいるのかと言われると、ほとんど聴いていないという方が大部分のような気がします。
ここで言う「ほとんど聴いていない」は、映像やストーリーなどのコンテンツの中核を側面から演出するという音や音楽の役割を全うしているということであって、決してネガティブな意味ではないです。
印象に残りにくい楽曲や音を求められることだってたくさんあるはずとも思うので。
音楽のための音楽
数年前、とあるプロデューサー(ヒットソング業界の方)が仰っていた「音楽のための音楽」というワードがいまだに頭をよぎります。
ここでいう「音楽のための音楽」は作る理由や動機付けを自分の中に求めたものと解釈しています。
平たくいえば自分が好きで作ったもの・アーティスト性の高いものという感じです。
「音楽のための音楽」がどれほどの価値を持つのかは人それぞれで、「自分の作りたいものしか作りたくない!」というアーティスト肌の作家もいれば「映像に合わせて演出する作り方の方が好きだ!」という作家もいるでしょう。
それに時と場合によってそういうスタンスが変化するのも自然なことと思います。
ただ、仕事として関わる以上は、その時の自分のスタンスと求められる要件の食い違いが全く無いという場面は稀(というかゼロ)でしょう。
「自分のスタンスとどう接するか」という葛藤は創作系の仕事に関わり続ける限り向き合わないといけないものとも思ったりするのです。
自分のスタンスを考える
ここまでが前置きとして僕の場合はどうかという話になるのですが自分でもよく分かりません…
本来ならこの項の記載が最も充実していて欲しいのですが…
制約の中でも自分らしさを発揮できるのがプロだ!
ウッ…
たしかにその通りで、制約も吸収できるくらいのスキルがあればどんな状況でも自分らしさを発揮できるのかもしれません。
ただ、どれだけ技術を磨いてもそういう食い違いがゼロになることはないような気もしていて、そういうときに「自分のスタンスをどれだけコントロールできるか」という考え方もスキルと同じくらい重要なんじゃないかと思ったりもするのです。
…
そんなこんなで弱小なりに自分のスタンスについていろいろ考えました! という話でした。
2020/9/13 odasis