サウンドクリエイターになるまでの半生を振り返る。【①中学受験から高校まで】
2017/11/02
odasisは現在サウンドクリエイターとして、遊技機のサウンド開発の仕事をしています。
雇われの身ですが好きなことが仕事になっています。
それなりの紆余曲折があったので、ここに至るまでの経緯を改めて振り返ってみようと思う。受験生・就活生・音楽関係の仕事に就きたい方など、少しでも参考になることを祈ろう。
プロフィールはこちら。
目次
①中学受験から高校まで②大学受験まで
③大学入学〜サークル活動
④就職活動
⑤大学卒業〜入社式
⑥社会人1年目
⑦社会人2〜3年目
⑧転職活動
⑨退職〜新天地へ
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中学受験
odasisは中学受験を経験しています。いわゆるお受験組です。高校受験が不要な中高一貫校に通っていました。
「中学受験は親の受験」とはよく言ったもの。
10歳そこらのクソガキにその意義や有り難みなど理解できるわけもなく、ただ親に叱られるのが嫌で勉強していました。
「うまくいく」ということ
進学先は第一志望ではなく、成績は最後まで下り坂で中学受験を終えました。
怒られたくないからという理由で勉強していたものですから達成感は小さく、
やっぱりこんなもんか…
と思ってしまう自分がいました。
入学後はサッカー部に入部。
日韓ワールドカップに感化されて始めたサッカーを幼いodasisは心より愛していましたが、残念ながらあんまり上達しなかった。
当時のodasisは「うまくいくとはどういうことか」が理解できなかった。
自分の中で「これは成功だ!」と認識できる機会が全く無かったのです。
勉強の仕方がよく分からない…
サッカーも(死ぬほど好きでしたが)練習しても上手くならない…
遊び方も分からない…
努力すりゃいいだけやろ!!
周囲からよく言われましたが、そんなことは当時の阿呆なodasisもさすがに分かっていました。
でもじゃあ何をどうやればいいのか、身体をどう動かせばいいのかが分かりませんでした。
できないこと・負けることが普通だったのです。
学校の帰りは悔しくて落ち込んで、それなのにどうしてそんなに悔しいのか分からなくて…
自分なりの努力はしているつもりでいましたので、その姿勢を褒めてもらえることはあったものの、「成績が上がる」「レギュラーを取る」みたいな分かりやすい成果を得た実感はほとんど無かった。
200人以上が通っていた学校で、入学直後の成績は下から10〜20位くらい。
中学2年のときの数学の試験で赤点を取り、親が泣いたのをいまだに鮮明に覚えています。
進学校とはいえ皆が有名大学に進学できるわけではありません。
少なくとも当時のodasisはサッカーが上手くなる方法も、成績を上げる術も、努力の仕方も、なにひとつ知らない一文無しの状態でした。
きっかけは思わぬところに
中学3年になった頃。
それまで授業をろくに聞いていなかったodasisでしたが、クラス替え直後で授業中に喋る相手がいなかったという極めて不純な理由で授業を少しだけ聞きました。(3年生だし真面目にやろうという心境の変化も少しはあった。)
結果、最初の試験で成績が少し上がりました。これがきっかけ。
あとは成績を上げるということ自体が楽しくなりました。
もともと考えるのは好きだったので数学が好きになりました。きっかけはそんなものなのです。
サッカー部を退部
成績は上向いてきたものの、odasisの負け癖は一向に改善しませんでした。
高校に入り、中学のときとほとんど同じ仲間とともに高校のサッカー部に入部したものの、練習が厳しくなり、より実力にシビアになり、上と下の差が開き…
苦しいと感じる時間が少しずつ増えていきました。
結果、日韓W杯に感化され小学校5年生から始めたサッカーを高校1年の年度末にやめています。
当時のことはあんまり覚えていないのですが、周りには全く相談しなかったのを覚えています。
申し訳ないとは思ったものの身体が動きませんでした。
「受験もあるから」と自分に言い聞かせましたが、それは言い訳。がんばる気力がなくなってしまったのです。
サッカーは好きでした。
退部を顧問に伝えたあと、悔しくて教室のすみで泣きました。
当時の自分は中学の頃よりさらに一文無しでした。唯一自分にあったサッカーすら手放しましたから。かっこ悪くて反吐が出ました。
2017/5/10 odasis
続く。
目次
①中学受験から高校まで②大学受験まで
③大学入学〜サークル活動
④就職活動
⑤大学卒業〜入社式
⑥社会人1年目
⑦社会人2〜3年目
⑧転職活動
⑨退職〜新天地へ