サウンドクリエイターになるまでの半生を振り返る。【④就職活動】
2017/11/02
odasisは現在サウンドクリエイターとして、遊技機のサウンド開発の仕事をしています。
雇われの身ですが好きなことが仕事になっています。
それなりの紆余曲折があったので、ここに至るまでの経緯を改めて振り返ってみようと思う。受験生・就活生・音楽関係の仕事に就きたい方など、少しでも参考になることを祈ろう。
プロフィールはこちら。
目次
①中学受験から高校まで②大学受験まで
③大学入学〜サークル活動
④就職活動
⑤大学卒業〜入社式
⑥社会人1年目
⑦社会人2〜3年目
⑧転職活動
⑨退職〜新天地へ
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京大生にとっての就職活動
日本人の「日本人らしさ」は油汚れのごとく頑固。
古い日本企業には学歴主義が根強く残っています。
「京都大学卒」という頑丈な防波堤が理不尽な社会の荒波を幾分和らげてくれるわけですが、京大生たちが皆それにありがたみを感じているかというと必ずしもそんなことはありません。
起業したり旅に出たりと、ダイナミックな舵取りができる学生もいますがそれはごく一部。
雑音に苦しむ人だって当然います。odasisもまさにその一人でした。
周りには青天井に優秀な同期がいます。
高校では秀才と崇められたのに、大学に入った途端にどうあがいても敵わない存在がたくさん見つかり心が折れる人もいます。
「とりあえず京大に入ったんだから安心だ!」そんな親の期待を裏切るわけにもいきません。
彼らの期待は無邪気で、そして時に無責任極まりない。しかしそこまで頑張って育ててくれた親ですから。大事にしないわけにもいかない。
2chの就職偏差値はご丁寧に大学名まで出して「勝ち」だの「負け」だのと煽ります。
虚構の「負け」に傷つく学生だってたくさんいます。
学歴のおかげで幾分選択肢は拡がりますが、それと同時に見えない不自由を感じることだってあるんです。
しかし、他人のせいにしようとしてもそれはなかなか難しい。中から見える景色を知らない人達になすりつけたって仕方がない。
「とりあえず良い大学にいけば大丈夫」という社会構造にこそ自分の不自由さの根本原因があると気づくも、そんな不自由さを嘆くわけにはいきません。
ある程度の社会的な成功が約束された立場からそんなことを言っても贅沢で厚かましい発言にしか聞こえない。黙るしかない。
東大だろうが京大だろうが受験さえすれば通るような大学だろうが、見える景色はきっと似たようなもの。
周囲に振り回されながら、悶々と悩む学生だっているんです。
やりたいことを見つけろ?無責任なこと言うんじゃねえよ!
就活サイトも電車の広告も無責任に「やりたいことを見つけろ!」と喚きますが、やりたいことなんてそう簡単に見つかりません。
やりたいことは「見つかる」ものではありません。「好きなことやりたいことに変える」必要があるんです。
悩みに悩んで決断したとき、もはや好きか嫌いかも分からなくなる。それでも「やるんだ!」と踏み出すにはものすごく気力と体力が必要になるはずなんです。
やりたいことを見つけろ!
そんな無責任な言い方をすべきではない。
「とりあえず失敗しろ!」とかの方がよほど建設的だよ。
odasisの就職活動
音楽は死ぬほど好きでしたが、それを仕事にするという選択肢はなかった。思いつかなかった。
当時はギターを弾くことしかできなかったし、音楽の仕事にどんなものがあるのかも、そこにどれくらいの可能性があるのかも分からなかった。
とりあえず始めた就職活動でしたが、会社を周る中で大学受験のときのような「自分を強烈にDriveする何か」に出会えるのではないかという淡い期待も抱いていました。
音楽以外で好きなことは特に無かったので、就職偏差値の上から順番にESを出しました。しかし一番上から数行分の企業には出しませんでした。落ちるのが怖かったから。
嘘をつくのが苦手なodasisは、いわゆる「就活テクニック」はすぐに諦めました。阿呆な自分を、それでも選んでくれる企業に入ろうと思いました。
いろんな会社を見ましたが「自分を強烈にDriveする何か」がある企業は結局見つかりませんでした(インターン先は面白そうでしたが落ちました)。
いま思えば当然の話。受験した会社、そして内定をくれた会社には失礼極まりない。
内定は3社から頂くことができました。この3社には素の自分が伝わったと感じました。
これはものすごく価値のあること。
結局、一番自分を必要としてくれていると感じた電機メーカーに入社を決め、odasisの就職活動は幕を下ろしたのでした。
2017/5/13 odasis
続く。
目次
①中学受験から高校まで②大学受験まで
③大学入学〜サークル活動
④就職活動
⑤大学卒業〜入社式
⑥社会人1年目
⑦社会人2〜3年目
⑧転職活動
⑨退職〜新天地へ